私はいわゆる『第二次ベビーブーマー』世代なのですが。
世代に人が多いと。必然的に『サバイバル』 になるんですね。
どうしたら、生き残れるか? 勝ち残れるか? それを考えるようになるんです。
『受験戦争』という言葉も我々の学生時代から使われ始めたと記憶しています。
それまでは「国公立でなくても、どこかの私立には入れるよ。」と言われていたものが、
その「どこかの私立」でさえも 入学できるかどうかの生存競争 が激しくなって
いた、そういう時代でした。
こないだセンター試験も終わり。これから受験シーズンまっただ中ということもあり。
しばらくこの『孫子』シリーズやっていこかな? と。
勝ち抜いていくために一番最初に為すべきこと。それは『目標設定』 と
『自分の力量を正確に把握し、その差を確認すること』 です。
『孫子』の言葉を使えば、『敵を知り、己を知れば、百戦危うからず』
という言葉が当てはまるんでしょうかね?
まず、相手のことを知らないと、やれ「気合だ!」「根性だ!」
言っても、まったくもって勝てない わけです。
まずは 冷静沈着になり。相手の状況をしっかりと見定める。
私の場合は、偏差値がどうこう以前に「185点/300点」取れば合格できる。
とわかりました。偏差値なんて所詮は物差し、単なるツールでしかないですからね(笑)
そこに 自分の持っている『戦力』をシミュレート します。
英語が40、国語が60、日本史85。これで「勝てる」と目算が立ちました。
その後(自分の本番のリハーサルである)センター試験を経て。やはりというか。
英語が想像以上に壊滅的だとわかったので、目算を修正し。
英語30、国語60、日本史95、と設定値変更 しました。
したらば 本番まで後は何を為すべきか?
当然 『日本史をより一層勉強する』 という答えが導き出されます。
結果としてどうだったか?
日本史はやはり難解で84点と、思わぬ苦戦を強いられましたが。
国語で70点、英語54点。トータル208点。悠々の合格ラインクリアでした。
これがもしも、英語が30点しか取れてなくとも184点。
ボーダーにはしっかり乗ってたわけで。それが全てシミュレートできていた。
だからこそ「これはそんなに分は悪くない。十分勝てる勝負。」
と思って受験してた、というわけです。
なお、この話には余談がありまして。
私、実は 入学直後の実力テストで学年3位 だったんです。
・・・下から数えて、ですけれど(笑)。
特に。英語と数学は「クラス2冠達成」でした。
これが校内で噂となり。レースは 最後方スタート だったのです。
センター試験の結果は校内41位でした。
軽く300人はごぼう抜きしました ね。3年でそこまで追い上げたんです。
そんな風に着々と力をつけていたのは、3年当時の担任も知っていて。
12月の二者面談時、私は「私立のこの3校を受験します」と伝えました。
3校いずれも『チャレンジ校』。自分の偏差値では届きません。偏差値上は。
担任に言われました。「滑り止めは受けないのか?」と。
成績が上がってきてたので、この際、どこかの大学に受かって実績にしたい、
きっとそう思ったのでしょう。でも私にはこの3校で十分目算は立ってました。
しかしそれをくどくど伝えるのは私の性に合わないので、先生にはこう伝えました。
「先生は数学の先生なので、確率論でお話しします。
受験は受かるか落ちるか、確率は1/2です。
3校受ければ。全滅の確率は、1/2の3乗。
逆に言うと7/8の確率で、どこかの大学には受かるでしょう。」
「ま、少なくとも私のことは心配しなさんな。」ということで。
「そうか。お前にはもう何を言ってもムダなんだな。。」と、その時は呆れられたのですが。
卒業時には手放しで「みんな、コイツはよく頑張った!」 と、見事な手の平返し
をされました(笑)。別に頑張ったわけでもなんでもなく。
『孫子の兵法』を忠実に物事を実行しただけ であって。
ま、ぐちぐちうるさい先生ではありましたが。基本的には私には諦め半分で優しく接して
下さいました。そんな先生の『実績』にはなったので、まぁそれはそれでよいでしょうと。
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