2020年2月8日土曜日

曹操が、三軍師に命令したこと。

私が歴史好きなのは、消防時代に観たNHK人形劇『三国志』 がきっかけで。
その中で、諸葛孔明のように『世の中の先が観える人になりたい』 と。
子ども心に思ったのが、占いが好きになった理由 でした。

単なる 『三国志好きの消防』 ではございません。
5年生の時に、国語の教科書に隠して、吉川英治の小説の三国志を読んでいたので。

文庫本ね。んで貼った画像の文庫本は、書体を大きく書いている「改定版」で。
私が消防時代に読んでたのは、この一世代前の、もっと字が小さい文庫本でした。
当たり前ですが、ショーガコーの図書室にはこんな本置いてません(笑)
でも 『なぜか』 我が家にはあったんですよ(笑)人形劇をもっともっと理解したくてね。
で。厨房になりますと。ゲーム 『信長の野望』 シリーズを出していた
『光栄』(現:テクモコーエーゲームス)が、ゲーム 『三國志』 をリリースします。

今この 『三國志』 シリーズ。14作目まで作られてまして。
厨房時代から 『信長の野望』 で戦国時代を、『三國志』 で中国の三国時代を、
新しいシリーズができるたびに、懸命に勉強(笑)をしていたわけです。
『三国志』って。劉備玄徳なり諸葛孔明が主人公で。
曹操が悪役
、というのが、多くの皆様の見方ですよね?
でもそれは『正史』ではなくて『三国志演義』 でのお話。つまりは
「中国の三国時代の群雄像を世間に広く、面白く伝えるために、
 あえて劉備、孔明の主従を主役に(必然的に)曹操を悪役に
 仕立てて書いた物語」であって。
曹操が、まるっきりの極悪人か?

と問われれば、決してそうではない (※むしろ劉備よりかなり有能な政治家です)
ということが、ゲームで勉強できるんです。
このゲーム 『三國志』 は、それまでの 『三国志演義』 ベースで伝わっていた、
「劉備、孔明が善、ヒーローで、曹操が悪役、敵役」 という
イメージを完全に覆しました。
私も以前触れましたが、今年の大河ドラマの主人公は明智光秀。
世間一般的には 「主君殺しの大罪人」 というイメージでしかないわけですが、
こないだもブログで説明した通り、光秀には光秀の言い分、理由があったわけで。
それは歴史上あらゆることがそうであり。
関ヶ原で負けた石田三成は悪者だったのか?
源頼朝に滅ぼされた平家は悪者だったのか?
太平洋戦争で負けた日本は、世界の敵だったのか? というのは
「負けた側には負けた側の言い分がある」となるのが当然 なのです。

ということで。消防の頃は単に諸葛孔明に憧れていただけのガキが、厨房になると
「多面的なモノの見方」ができるようになり、とりわけ曹操の名参謀と言われた
郭嘉(かくか)、字は奉孝、という人物が好きになっていきます。
ゲーム 『三國志』 ができてから30年あまり。私のように
『信長の野望』『三國志』等のゲームで勉強をしていった人間
爆発的に増え、戦国時代が信長、秀吉、家康のみならず、伊達政宗、武田信玄、毛利元就
等の地方大名や、大名のみならず、直江兼続、黒田官兵衛といった「主君を支えていた
人が主人公」の大河ドラマが作られたのと同様に、三国志の時代も、曹操が主役として
描かれている 『蒼天航路』 という漫画があります。郭嘉さんも存分に活躍しています。

先ほども話した 『三国志演義』 でいう所の 『三国志』 という物語は、前漢と合わせて
約400年続いた漢王朝が、権力争いにより腐敗弱体化することで政治が大きく傾き、
『黄巾の乱』 と呼ばれる、宗教色の強い農民反乱が各地で起こったことによって、
ついに王朝は末期症状になります。
漢王朝も正規軍は持っており、反乱を鎮圧しようとはするのですが、反乱の勢いは
それ以上に強く、また政治の中枢ではこの期に及んでも相変わらず、権力争いに
明け暮れていたことから、住民の生活はひどく貧しい状態の上に、さらに反乱による
略奪行為が横行、常態化し。「もはや漢王朝には任せておけない!」 と、
各地で群雄たちが、義勇軍を作って立ち上がります。これが西暦184年の出来事です。
ここから群雄たちは、それぞれが覇権を争うことによって淘汰され。
最後に、魏・呉・蜀と「三国鼎立」するのが西暦220年です。
この直後、曹操、劉備が相次いで死去し、劉備が建国した蜀の国は、諸葛孔明が丞相と
して政治を切り盛りし、漢王朝の再興を図る為、曹操の子、曹丕が皇帝となった魏の国に
何度か攻め入るも敵わず、234年に孔明も亡くなって・・・『三国志演義』 という
物語は終焉することになります。もちろんその後も、歴史は続いていくわけですが。
(あー、随分前置き長かった(笑))

まぁ、その50年の物語のうちの。下記の動画の時代。
時は西暦195~6年・・・頃、なのかな?
曹操は、都にほど近い兗州(えんしゅう)という地を根拠地として、軍勢を率いて
いたのですが。この頃はまだまだ群雄たちが多く存在し。『生存競争』 と言う名の
群雄の淘汰が最中行われていました。
この兗州の土地を、自分たちの根拠地にしようと虎視眈々と狙っていたのが、
三国志随一の 『猛将』 呂布(りょふ)です。動画の冒頭で「半分取られた」と言ってますね。

曹操は最終的には三国の内、最も勢力の大きい、魏の国を作る基礎を築いてこの世を
去ったわけですが。なぜ魏が最も勢力が大きかったかというと。
曹操が大の『人財マニア』だった からです(笑)
とにかく優秀有能な人財を欲しがった。
「あそこに傑物がいる!」 と聞けば、スカウトして回り。
「敵ながらあっぱれ!」 と思えば、何とかして幕僚に加えようと画策し。
実際に、敵からスカウトしてきた幕僚は数知れません。治世の最後の方には
「身分が卑しかったり貧しかったりする者はもちろんのこと、
過去にどんな罪に問われていようが、『自分には才能がある』思った人間は、我の元に集まれ!」 という、世に言う『求賢令』

という触れまで出します。(もちろんテストして使える人間をスカウトするわけです。)

そんな 『人財マニア』 の曹操が、最も勢力を拡大できたのは当然のこととして。
その中でも。曹操の元には早くから、実際に軍を動かす武将だけではなく、
さまざまな知恵を持った 『知将』 が集まってくるのが、他の群雄より際立って速かった
ことが原因として考えられます。
動画には、初期の曹操軍を知略の面で支えた 『三軍師』 が出てきます。
荀彧(じゅんいく)、程昱(ていいく)、郭嘉(かくか)の三人です。

さて。根拠地の兗州の半分を取られた曹操は、何としてでも兗州を取り返さなければ
ならない局面です。ということは、猛将呂布を追い払わなければなりません。
まずは動画をご覧ください。

・・・観ましたか?
優秀な能吏でもあった荀彧には、条件を提示して、出せる戦力を計算させ。
主に諜報と調略活動が得意だった程昱には、最も有利な戦地を探させ。
そして 『純粋策士』 の郭嘉には「それらの条件下で勝てる策を出せ。」 と。
実に 「人財の使い方が上手い」 ことが、たったこれだけで分かります。
以上。なんか今回長々と書いてしまいましたが。
結局何を言いたいかと言うと。曹操は『孫子』に忠実に策を練っている。
ということです。
以前のブログで『敵を知り、己を知れば、百戦危うからず』 と書きました。
しかしそれは 「危うからず」 であり。勝てるかどうかは「話は別問題」になります。
ノムさんも言ってましたよね? 『勝ちに不思議の勝ちあり』 と。
勝ち切るためには。もう2つ3つほど条件がある んです。
孫子の兵法ではこうも言っています。
『敵を知り、己を知り、天を知り、地を知る』
 似たような言葉ですが。勝ち切るために大切なもの、必要なもの、それは。
『天の時、地の利、人の和』 です。

この話、何に繋がるかと言いますと。私の大学受験戦略です。
私は東京にある私立の大学を受験の本命にしました。
多分国公立には受からなかったでしょう。
なぜなら。
センター試験は英数国が200点、理社は100点の計800点満点です。
その800点満点の中で、苦手な英語が1/4、数学が1/4の配点。
私の得意な日本史は、1/8の配点しかない のです。
しかし私立文系ならば。英国社各100点の計300点満点。
英語は1/3ですが、日本史もまた1/3の戦力換算ができます。
私はすなわち『地の利を得ようとした』 のです。
故に。私は地元の大学に進学してもらいたい父を説き伏せ。
東京の私立大学の受験を決意決心し、本命としたわけです。

動画をもう一度ご覧になってみてください。
曹操は程昱に、なんと言いましたか?
「陽動部隊が見てきた地形の中から、動ける範囲、条件の中で
 最も有利な戦地を選び出せ と、命令してませんか?
これは『兵家の常識』であり、最も基本中の基本 なのです。
さらに言いますと。
現在 『孫子』 として伝わっている13篇の書物は、本当は実は80篇以上あり。
それを「13篇に簡略にしたのが、実は曹操さん」 なんですけどね。

今回はこういうお話でした。
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